子育て論文研究室
発達心理学

画面の向こうの「推し」との一方通行の関わりは、心にどう結びつくのか — 17本の研究をまとめたメタ分析

📄 Parasocial Engagement With Social Media Influencers and Mental Health Outcomes: Systematic Review and Meta-Analysis.

✍️ Li, Y, Liu, Z, Liu, F

📅 論文公開: 2026年1月

ソーシャルメディア 思春期 青年期 メンタルヘルス メタ分析 インフルエンサー

3つのポイント

  1. 1

    SNSのインフルエンサーに対して、視聴者が一方向に築く親しみ(パラソーシャルな関わり)と心の健康との関連を、17本の研究を統合して調べたメタ分析です。

  2. 2

    この関わりは、心地よさや満足感といった良い側面とも、のめり込みすぎといった困った側面とも、どちらとも同時に結びついていました。

  3. 3

    良い側面との結びつきのほうが全体として強く、研究間のばらつきも小さかった一方、関連の意味は結果の種類・発達段階・文化によって変わると著者は結論づけています。

論文プロフィール

  • 著者: Li, Y / Liu, Z / Liu, F
  • 発表年 / 掲載誌: 2026年 / JMIR 系のオンライン学術誌(DOI: 10.2196/96331)
  • 調査対象: 7つの文献データベースを開始年の制限なく検索し、条件を満たした17本の研究(そこから取り出された52個の効果量)。各研究の参加者は主に思春期から成人初期の利用者です
  • 調査内容: SNSのインフルエンサーに向けて視聴者が抱く一方向の関わり(パラソーシャルな関係、およびパラソーシャルなやりとり)と、心の健康に関する指標との関連を統合し、あらかじめ決めておいた調整要因を検討したうえで、根拠全体の質を評価しています

エディターズ・ノート

この論文が扱っているのは、乳幼児ではなく、思春期から成人初期の利用者です。それでも研究室として取り上げたいと考えたのは、この年代で起きていることが、もっと小さなお子さんを育てているご家族にとっても、これから確実に近づいてくる話だからです。

そして、この論文の姿勢そのものにも意味があると考えました。「SNSは心に悪いのか」という問いに白黒をつけようとするのではなく、良い側面と困った側面が同じ関わりから同時に出てくる、という結果をそのまま提示しています。

実験デザイン

この研究は、新しく参加者を集めた調査ではなく、すでに発表されている研究を集めて統合する メタ分析 です。

著者らは、心理学・医学・教育学にまたがる7つの文献データベース(PsycINFO、Embase、MEDLINE、ERIC、PubMed、Web of Science、Scopus)を、収録開始の時点までさかのぼって検索しました。そのうえで、SNSのインフルエンサーに対するパラソーシャルな関係・やりとりを数量的に測り、かつ心の健康に関する結果を報告している研究だけを残しました。最終的に残ったのは17本の研究で、そこから52個の効果量が取り出されています。

1本の研究から複数の効果量が出てくるため、著者らはそれらが互いに独立ではないことを織り込んだ3層構造のランダム効果モデルを使って統合しています。

結果は、一方の側に寄りませんでした。パラソーシャルな関わりは、心の健康の良い側面とも、問題を伴う使い方とも、どちらとも同時に結びついていました。そのうえで、良い側面、とりわけ主観的な満足感や充実感との結びつきのほうが、全体として強く、研究間のばらつきも小さかったと報告されています。

著者らの結論は、したがって「良いか悪いか」ではありません。この関わりが心にとって何を意味するかは、見ている結果の種類、パラソーシャルな関わりの型(継続的な関係なのか、その場のやりとりなのか)、本人の発達段階、そして文化的な背景によって変わる、というものです。

🔍 「パラソーシャル」とはどういう関わりか

パラソーシャルとは、一方の側だけが相手を知っている関わりを指します。テレビの時代から研究されてきた概念で、視聴者は相手の話し方も好みも日常も知っているのに、相手はこちらを知らない、という非対称な状態です。

この論文では、それをさらに2つに分けています。

  • パラソーシャルな関係: 時間をかけて積み重なる、継続的な親しみです。「あの人の投稿を見ると落ち着く」といった感覚がこれにあたります。
  • パラソーシャルなやりとり: 動画を見ているその最中に生じる、話しかけられているような感覚です。一過性のものです。

SNSではこの非対称さが薄れて見えます。コメントに返事がつくことも、配信中に名前が読まれることもあるためです。それが従来のテレビ時代と何が違うのかは、この論文でも今後の課題として残されています。

🔍 この記事で数値を書いていない理由

この記事では、関連の強さを表す具体的な数値を示していません。参照した公開情報の範囲では、統合された相関係数の値そのものを正確に読み取れなかったためです。推定して補うことはしていません。

そのうえで、この論文自体が持つ限界も申し添えておきます。

  • 採用された研究は17本です。メタ分析としては小さく、調整要因の検討はさらに少ない研究数の上に成り立ちます。
  • 関連であって因果ではありません。心が満たされている人がインフルエンサーに親しみを抱きやすいのか、親しみを抱くことで満たされるのかは、この結果からは決まりません。
  • 著者ら自身が、今後は縦断的で仕組みに踏み込んだ研究が必要だと述べています。現時点は、地図の輪郭が見えた段階です。

古典知見との接続

思春期に、家庭の外の誰かへ強く心を寄せること。これは新しい現象ではありません。エリクソンが青年期の中心的な課題として描いたのは、「自分は何者か」という問いに、自分なりの答えを組み立てていく作業でした。その作業には材料が要ります。身近な大人だけでは足りず、本の中の人物や、遠くの表現者や、憧れの誰かが材料になってきました。画面の向こうの相手に心を寄せるのは、家庭の外へ自分の手本を探しはじめた表れとも読めます。

この論文が「良い側面との結びつきのほうが強かった」と報告していることは、その文脈に置くと理解しやすくなります。手本を見つけ、その人の言葉に支えられ、同じ人を好きな人たちとつながる。これらは、青年期の課題にとって意義のあることです。

同時に、ボウルビィが描いた 愛着(アタッチメント) の視点からは、別の見え方も出てきます。愛着とは、困ったときに戻れる相手がいる、という感覚のことです。パラソーシャルな関わりには、この「戻れる感じ」に似た手触りがあります。落ち込んだ夜に、いつもの配信を開くと少し楽になる、というように。

ただし、この関わりは一方向です。相手はこちらの状況を知らず、こちらが困っているときに手を差し伸べることもありません。著者らが「問題を伴う使い方」との結びつきも同時に見出したことは、この非対称さと無関係ではないと考えられます。支えとして働く面と、支えの代わりになってしまう面が、同じ関わりの中に共存しているということです。

🔍 家庭で目を向けたいのは「時間」より「向き」かもしれません

この論文の結果が示しているのは、同じ「インフルエンサーを見ている時間」でも、その意味が一様ではないということです。研究の枠組みを、家庭での見え方に置き換えると、次のような違いになります。

  • 外へ広がっているとき: その人の影響で新しいことを始めた、同じ関心を持つ友達ができた、話題として家族に話す、といった動きが伴います。
  • 内に閉じているとき: 現実の関係が薄くなる、見ていないと落ち着かない、見たあとに気分が沈む、といった様子が続きます。

ただし、この2つは日によって行き来しますし、どちらかに固定できるものではありません。一度の様子で判断せず、月単位でどちらの色が濃いかを眺める程度が、この研究から言える範囲だと考えています。

読後感

この論文を読んで残ったのは、「見ているかどうか」ではなく「その人といるとき、どんな自分でいるか」のほうが問題なのだ、という感覚でした。

支えになる関わりと、支えの代わりになってしまう関わり。その2つは、外から見ただけでは区別がつきません。区別がつくのは、そのあとに何が起きたかを見たときだけです。何かを始めたのか、何かをやめたのか。誰かに話したのか、誰にも話さなくなったのか。

そしてこれは、お子さんに限った話でもないのだろうと思います。

今日、お子さんが「あの人がね」と話しはじめたとき、あなたはどんな返事をしたでしょうか。次に同じ話が出たら、どんなことを訊いてみたいですか。