脳の「中継ステーション」が語ること——8,000人超の脳画像から見えた、感覚・睡眠・こころの接点
📄 Thalamic nuclei volumes across psychiatric and neurological disorders: a multi-site magnetic resonance imaging study.
✍️ Mäki-Marttunen, V., Nerland, S., Jørgensen, K. N., Høgestøl, E. A., Rokicki, J., Alnæs, D., Borgwardt, S., Boye, B., Buitelaar, J., Bøen, E., Cervenka, S., Conzelmann, A., Erhardt, S., Franke, B., Celius, E. G., Harbo, H. F., Hilland, E., Hoekstra, P., Hartman, C. A., Jonassen, R., Jönsson, E. G., Landrø, N. I., Lesch, K. P., Maglanoc, L. A., Pauli, P., Sellgren, C. M., Nygaard, G. O., Oosterlaan, J., Schmidt, A., Schwarz, E., Ziegler, G. C., Agartz, I., Westlye, L. T., Andreassen, O. A., Kaufmann, T., Elvsåshagen, T.
📅 論文公開: 2026年1月
3つのポイント
- 1
8,000人以上の脳画像を比較した大規模研究で、脳の中継地点「視床」が多くの精神・神経疾患で小さくなっていることがわかりました。
- 2
特に思考や判断など高次の機能を担う視床領域が影響を受けやすく、五感の基本的な処理を担う領域は比較的保たれていました。
- 3
光や睡眠リズムに関わる「外側膝状体」という部位が6つの疾患で共通して変化しており、睡眠とこころの健康の深い結びつきが示唆されました。
論文プロフィール
- 著者: Mäki-Marttunen, V. ら(36名の国際共同研究チーム)
- 発表年: 2026年
- 掲載誌: Translational Psychiatry(Nature Publishing Group)
- 調査対象: 精神疾患・神経疾患の患者群および健常対照群(合計8,000名以上、複数施設)
- 対象疾患: 軽度認知障害(MCI)、認知症、うつ病、統合失調症スペクトラム、統合失調症ハイリスク群、双極性障害、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、パーキンソン病、多発性硬化症(MS)
- 調査内容: 構造MRIを用いて視床の25の核(左右で計50領域)を区分し、11の疾患群と健常群のあいだで体積を比較
エディターズ・ノート
「脳の病気」と聞くと、一つひとつがまったく別のものに思えます。けれどこの大規模研究は、うつ病・統合失調症・ADHD・ASDといった多くの疾患に共通して変化する脳の場所があることを明らかにしました。しかもその変化は「睡眠リズム」に関わる領域にまで及んでいます。子育ての日常でも大切にしたい「眠り」と「こころ」のつながりを、脳の仕組みから見つめ直すきっかけとして、本論文をお届けします。
実験デザイン
この研究は、ヨーロッパを中心とした複数の研究施設が協力して行われた大規模な横断研究です。
何を測ったのか
脳の深い場所にある「視床(ししょう)」という構造を、MRI画像から細かく区分しました。視床は、目・耳・皮膚などから届く感覚情報を大脳皮質に届ける「中継ステーション」のような役割を果たしています。ただし、単なる中継にとどまらず、注意の切り替えや記憶の整理など、より高度な情報処理にも深く関わっています。
🔍 視床ってどこにある?——脳の中の「交通整理係」
視床は脳のほぼ中央、左右の大脳半球のあいだに位置するクルミほどの大きさの構造です。体のさまざまな感覚器官から届く信号を「どの部署(大脳皮質の領域)に届けるか」を振り分ける、いわば交通整理係のような存在です。
ただし近年の研究では、視床は単なる中継地点ではなく、大脳皮質とのあいだで情報をやり取りしながら、注意・記憶・感情のコントロールにも積極的に関わっていることがわかってきています。
この研究では、視床をさらに25の「核」に細分化し、どの核がどの疾患で変化しているかを詳細に調べました。
研究の規模と手法
- 参加者数: 8,000名以上(11の疾患群+健常対照群)
- 手法: 構造MRIによる脳画像解析
- 視床の区分: 25の核を、解剖学的に6つのグループ(前核群・内側核群・外側核群・腹側核群・髄板内核群・後核群)に分類
- 統計手法: 年齢・性別・撮影施設などの影響を調整した線形モデルで比較 主な結果
視床のすべての領域が一様に変化するわけではなく、明確なパターンが見られました。
| 項目 | 体積減少の程度(相対値) |
|---|---|
| 前核群 | 3 |
| 内側核群 | 2.5 |
| 外側核群 | 2 |
| 腹側核群 | 0.5 |
| 髄板内核群 | 0.3 |
- 高次機能を担う領域(前核群・内側核群・外側核群)は、複数の疾患で有意に体積が小さくなっていました。特に軽度認知障害・認知症・統合失調症・多発性硬化症で大きな 効果量 効果量 介入の効果の大きさを標準化した指標。Cohen の d で 0.2 は小、0.5 は中、0.8 は大とされる。 が認められました。
- 感覚処理を担う領域(腹側核群・髄板内核群)は、比較的正常な体積を保っていました。
- 外側膝状体(光の情報を処理し、体内時計にも関わる核)は、11疾患のうち6つで体積変化が確認され、疾患を横断する共通の変化として注目されました。
🔍 外側膝状体と体内時計の意外なつながり
外側膝状体(がいそくしつじょうたい)は、目から入った光の情報を大脳皮質の視覚野に伝える中継点です。しかし、それだけではありません。
光の情報の一部は、体内時計の司令塔である「視交叉上核」にも送られます。朝の光を浴びると目が覚め、暗くなると眠くなる——この自然なリズムの出発点に、外側膝状体が関わっているのです。
この研究で外側膝状体が6つもの疾患で共通して変化していたことは、睡眠・覚醒リズムの乱れが多くの精神・神経疾患に共通する特徴である可能性を示唆しています。お子さんの「なかなか寝つけない」「朝起きられない」といった日常の困りごとも、脳のこうした仕組みとつながっているのかもしれません。
つまり、脳の「思考・判断・注意の切り替え」を支える高次の視床領域は、さまざまな疾患で共通して影響を受けやすい一方、「見る・聞く・触れる」といった基本的な感覚処理の領域は比較的守られている——そんな構図が浮かび上がってきました。
古典知見との接続
この研究が示した「感覚処理の基盤は比較的保たれ、高次の統合機能が影響を受けやすい」という知見は、発達の古典的な知見と重ねてみると興味深い示唆を与えてくれます。
モンテッソーリの感覚教育との接点
マリア・モンテッソーリは、子どもの発達において感覚体験を出発点に置きました。「手で触れ、目で見て、耳で聴く」という具体的な感覚体験を豊かに積み重ねることで、やがて抽象的な思考へとつながっていくという考え方です。
今回の研究で、感覚を処理する視床の領域が疾患の影響を比較的受けにくいことが示されたのは、ある意味でモンテッソーリの直観と重なります。感覚の入り口は堅牢に保たれている——だからこそ、感覚を通じた働きかけが、さまざまな困難を抱える子どもたちにとっても有効な支援の道になりうるのかもしれません。
ピアジェの シェマ スキーマ ピアジェの認知発達理論における概念。外界を理解するための認知的な枠組みや構造。 理論との接点
ジャン・ピアジェは、子どもが世界を理解するために「シェマ(ものごとの捉え方の枠組み)」を構築し、新しい経験に出会うたびにそれを更新していくと考えました。
視床は、感覚情報を受け取るだけでなく、大脳皮質との往復回路を通じて情報を統合・更新する役割を担っています。つまり、ピアジェが「同化と調節」と呼んだ認知の更新プロセスを、脳の中で実際に支えている構造のひとつと言えます。高次の視床領域が影響を受けると、この「枠組みの柔軟な更新」——たとえば予定が変わったときにスッと気持ちを切り替える力( 実行機能 実行機能 目標志向的な行動を制御する認知プロセスの総称。抑制制御、ワーキングメモリ、認知的柔軟性を含む。 )——が難しくなる可能性があります。
🔍 「高次」と「感覚」——視床の二つの顔
視床の核を機能的に分けると、大きく「高次核」と「感覚核」の二つのグループに分かれます。
- 高次核(前核群・内側核群など): 大脳皮質からの情報を受け取り、再び大脳皮質に返す「皮質–視床–皮質ループ」の一部。記憶の整理、注意の制御、感情の調節などに関わります。
- 感覚核(腹側核群の一部・膝状体など): 目・耳・皮膚などから届く感覚情報を、対応する大脳皮質の領域に中継します。
今回の研究で「高次核が影響を受けやすく、感覚核は保たれやすい」と示されたことは、疾患の多くが「情報の入り口」ではなく「情報の統合・活用」のレベルで困難を抱えていることを示唆しています。
読後感
お子さんが何かに夢中になっているとき——砂を握る手の感触、窓から差し込む光のまぶしさ、雨音のリズム——その瞬間、脳の中の「中継ステーション」はフル稼働しています。
みなさんのお子さんは、どんな感覚体験に一番引き込まれますか? そして、ぐっすり眠れた翌朝と寝不足の朝とで、お子さんの様子にどんな違いがあるでしょうか?