「足りなかったこと」と「こわかったこと」— 感情の整え方に残るちがい
📄 Childhood neglect, abuse, and their combination are differentially associated with specific emotion regulation and mental health issues.
✍️ Doba, K, Pezard, L, Nandrino, JL
📅 論文公開: 2026年1月
3つのポイント
- 1
子ども時代の「足りなさ」と「こわさ」は、感情の整え方に別々のかたちで関わっていました
- 2
両方を経験した場合には、感情を整える力の広い範囲に影響が及びやすいと報告されています
- 3
これは決まった運命ではなく、支援や関係のなかで整え方は学び直せるという前提の研究です
論文プロフィール
- 著者 / 発表年 / 掲載誌: Doba, K., Pezard, L., Nandrino, J.L.(2026年)/Communications Psychology
- 調査対象: 子ども時代の逆境体験について回答した、大規模なサンプルの成人の方々
- 調査内容: 「ネグレクト(必要なものが足りない経験)」と「虐待(脅かされる経験)」を分けたうえで、感情の整え方の困難さや、こころの健康との関わりを比較しました
エディターズ・ノート
子ども時代のつらい経験は、これまで「ひとまとめ」に語られがちでした。この研究は、その中身を「足りなかったこと」と「こわかったこと」に分けて見ることで、必要な支えのかたちも変わってくることを示しています。
読まれる方のなかには、ご自身が当事者である方もいらっしゃるかもしれません。この記事は、誰かを責めるためでも、これからを決めつけるためでもなく、理解の解像度を上げるためにお届けします。
実験デザイン
この研究では、条件のよく似た人同士を丁寧に組み合わせる統計的な手法(マッチング法)を使い、背景の違いによる影響をできるだけ取り除いたうえで比較を行っています。
比較されたのは、大きく次の 3 つのパターンです。
- ネグレクトの経験: 必要な世話・関心・応答が十分に届かなかった経験
- 虐待の経験: 脅かされる、傷つけられるといった経験
- その両方の経験
結果として、ネグレクトは感情を整えるための「やり方そのものを使う機会が少ない」状態と結びついていました。一方で虐待は、やり方は持っていてもそれをうまく使えなくなる形と結びついていました。そして両方を経験した場合には、基本的な感情の扱い・考え方による整え方・人との関わりの中での整え方という広い範囲にわたって、困難が生じやすいと報告されています。
なお、この論文の要旨には具体的な効果の大きさを示す数値は示されていません。そのため本記事では、数値の比較ではなく「関わり方のパターンの違い」に焦点を当ててお伝えしています。
🔍 この研究をどう受け取るとよいか(限界について)
この研究は、成人の方が過去を振り返って回答した内容にもとづいています。そのため、次のような限界があります。
- 因果関係の証明ではありません: 「こういう経験をしたから必ずこうなる」という関係を示したものではありません。
- 振り返りの記憶にもとづきます: 現在の状態が、過去の記憶の語られ方に影響することもあります。
- 個人差がとても大きい領域です: 同じ経験をしても、その後の歩みは人によって大きく異なります。
研究者自身も、今後は「経験の種類に合わせた支援」の研究が必要だと結んでいます。つまりこれは、支援を組み立て直すための出発点であって、見通しを閉じるための結論ではありません。
古典知見との接続
この知見は、 愛着(アタッチメント) アタッチメント(愛着) 乳幼児と養育者の間に形成される情緒的な絆。ボウルビィが提唱し、安定型・不安定型等に分類される。 の考え方とよく響き合います。ボウルビィは、困ったときに戻れる安心の拠点があることで、子どもは外の世界を探索できると考えました。
ネグレクトが「使えるやり方が育ちにくい」ことと結びつくのは、感情の整え方が、そもそも誰かとのやりとりの中で少しずつ手渡されるものだからかもしれません。泣いたときに応じてもらう、こわいときにそばにいてもらう。感情の整え方は、関わりの中で受け取る手渡しの技術なのだと、この研究はあらためて教えてくれます。
エリクソンが乳児期の課題とした「基本的信頼」も、同じ地層にあります。世界はおおむね応えてくれる、という感覚が、後の感情の扱いやすさを静かに支えます。
🔍 「整え方」は大人になってからも育つのか
この領域の研究が繰り返し確かめているのは、感情の整え方が生涯にわたって変化しうるということです。
- 関係の中で学び直せます: 信頼できる相手との安定した関わりは、それ自体が学び直しの場になります。
- 専門的な支援が有効です: トラウマに焦点を当てた心理療法など、確立された支援方法があります。
- 完全さは必要ありません: 「いつも完璧に応じる」ことではなく、ずれても戻ってこられることが支えになると考えられています。
もし今、ご自身やご家族のことで思い当たることがあれば、地域の相談窓口や専門機関に一度お話ししてみることも、有力な選択肢のひとつです。
読後感
感情を整える力は、ひとりで身につけるものではなく、誰かとのやりとりの中で少しずつ受け取っていくもの — この研究は、そんな当たり前だけれど見落としやすいことを、静かに裏づけてくれました。
そして同時に、それは今からでも受け取り直せるものでもあります。子どもにとっても、大人にとっても。
今日、お子さんが少し落ち着きを取り戻せた瞬間があったとしたら、そのそばには誰がいたでしょうか。